Soekarno-Hatta 空港に:自身と妻と母 |
この物語には、いる奥さんが海外で勉強して行ってから、主人は独身になっています。その主人はもちろん自身です。😅
2023年8月20日(日)
母はおじさんたちと田舎から家へ来ました。「ンガンジュックから朝3時に出発しましたね。」と母が言いました。道に迷いましたから、午後5時に着きました。田舎から、いろいろなお土産を持って行きました。母はうちへ来たのは22日に空港へ妻を届けます。家は大きくないですから、母とおじさんたちはテレべの前で寝ました。
2023年8月22日(火)
「今日は最後の日妻に会うことができる」と思いました。朝、会社へ行った時も、考えました。来年までまた独身になります。その日はやっと来ました。信じられませんでした。
午後4時にシャワーを浴びて、ちょっと食事をして、義理の弟の寮へ迎えに行って、それから Soekarno-Hatta 空港へ行きました。有料道路を通ってから、1時間ぐらいかかりました。車で時速100キロメートルぐらい行きました。飛行機は午後10時に出発しましたから、まだ時間がたくさんありました。モスクで祈りをしました。それから、待合室で座りました。自動販売機からコーヒーやパンを買いました。妻は韓国へ行く前に、最後の2時間ぐらいを楽しみました。
午後9時ぐらいに妻は国際線出発ラウンジに入りました。その前に、プリクラで写真を撮りました。プリクラの作った写真が二枚ありましたから、思い出のために写真を一枚妻にあげて、母も一枚もらいました。
やっと国際線出発ラウンジの前にいました。まだ信じられませんでした。それから、恋人と一年間くらい離れました。八ぐしました。泣きながら強く八ぐしました。母も泣きました。そのラウンジに妻は入って、私は遠いから妻に写真を撮りました。「バイバイ、また来年」と言いました。
それから、私たちはお手洗いに入って、顔を洗いました。駐車所に戻って、うちへ帰りました。もう一度湯流道路に通りました。その道路は1つの旅は5万ルピアぐらいかかりました。ですから、行く時と帰るときには10万ルピアかかりました。
うちに着くまえに、レストランで晩ご飯を食べました。
2023年8月23日(水)
午前2時に母たちは起きて、準備して、荷物を車に入れて、田舎へ帰りました。その時、私も起きました。「バイバイ」と言って、また寝ました。目が覚めるときには妻が近くにいないので思い出しました。電話で妻のメールを読みました。「ソールに着きましたよ。今から寮へ行きます。」と書きました。
その夜に、ピアノを習ってから、うちへ帰って、ますぐさびしくなりました。家に誰もいませんでした。自分で家にいました。
次の日、義理の弟にメールを書きました。「すぐ引越ししてください。」と書きました。「はい、週末に引越しします。」と返事しましたねる。
2023年9月23日(土)
1ヶ月が経ちました。毎晩、妻にビデオ通話をかけます。ソウル時間はジャカルタ時間より2時間高いですから、妻に電話を掛けるときに韓国ではもと遅いですよ。1ヶ月前に、この 離れることの問題は易しいと思いました。実は全然易しくないです。毎晩、寝る前に妻を思い出します。毎朝、目が覚めるとき、またベッドにいませんよ。でも、強くならなければなりませんよ。幸いなことに、現代のテクノロジーはもう進みましたから、懐かしい時にはますぐ妻をビデオ通話します。
南タンゲラン、2023年9月23日
あなたにとても会いたいです
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