Monday, 13 January 2025

ソウルの旅行

先月、韓国のソウルへ旅行や妻の卒業式に出席に行きました。妻は2023年8月からソウルの延世大学大学で勉強して、2024年12月に卒業しました。だから、私はソウルに来ました。

あの時は初めて海外へ行きましたから、楽しました。色々な食べ物を食べてたり、面白い場所へ生きたり、たくさんの活動もしたりしました。うれしかったです。では、はじめー

2024年12月13日(金)

家でパキングをしたり、準備ができてり、オンラインタクシーを呼びました。義理の弟と  ”Soekarno-Hatta” 空港に来ました。私のフライトは午前2時ごろなのに、午後10時ごろ空港に到着しました。弟は電車を追いかけたので、急いで帰りました。

荷物をボーディングしました。それに、入国管理局に入りました。検車されました。写真とビデオを撮ってはいけませんでした。水をボトルから捨てられないといけませんでした。やっと、11時ごろに待合室に入りました。喉がちょっと乾いたので、給水所でビンに水を入れて、飲みました。

航空はまだ2時間以上でしたから、寝ないようにコーヒーを買いました。コーヒーを飲みながら、ゲートの近くに待ちました。


2020年12月14日(土)

午前1時半ぐらい、アナウンサーは Air China の乗客たちを呼びました。人々はゲートの前に並べて、チケットを確認してもらって、飛行機に入りました。

私の席は54Lでした。窓の隣で、ジェット機会から少し遠いです。午前2時ごろ飛行機は出発しました。シートベルトを付けて、目を閉じて見ました。しかし、コーヒーなので、寝られませんでした。

飛行中に、つまらなくないように、ビデオを見ました。色々な動画と映画がありました。眠いまでドキュメンタリーを見ました。時間がかかって、眠くなって、画面を消しました。寝ました。

・・・

朝が来ました。朝ご飯をもらいました。朝食のオプションはお粥とオムレツでした。お粥を食べたことがありませんでしたから、お粥を選びました。変な食べ物でした。

画面でLive Location をチェックしました。フィリピンの後で、海の真ん中でした。窓を開けて、外に見たとき太陽はもう昇っていました。明るすぎて、窓を閉めました。


・・・

「すぐに航空機は北京に着陸します。・・・ジャカルタの時差は1時間です。今午前11時です。」

・・・

北京の空港にいました。午後3時の飛行機に乗り換えます。入国管理局に入りました。チェックされました。それから、待合室にもう一度待ちました。コーヒーでも買いたいですけど、ユアンを持ちませんでした。水だけ飲みました。空港のWIFIを接続してみました。でも、なんでも開けられませんでした。WhatsAppとか、Instagramとか、YouTubeなど開けられませんでした。中国のウェブサイトだけ開けられました。妻に連絡したいですけど、できませんでした。

・・・

午後3時ごろ、仁川空港までの飛行機は出発しました。マダガスカルの方に出会いました。彼女はソウルへ子供の卒業式を来ました。「私も妻の卒業式に来ます。」と私は彼女に言いました。

5時ごろ仁川空港に到着しました。もう一度入国管理局にチェックもらいました。入国許可書を書いて、係員にあげながら、パスポートを見せました。

「韓国にようこそ!」と係員が言いました。

やっとー!ため息をつきました。

そのあと、手荷物受取所で待ちました。良かったで、そのすぐに見つけました。荷物をもらった後で、出口を探しました。黄色のサインが良く見えたので、すぐ出ました。

・・・

「どうやってここから延世大学まで行きますか」と私は英語で案内所に聞きました。係員は英語が全然話せないらしかったけど、手話で地下鉄の場所と地下鉄のチケットの買い方を知らせました。彼女に感謝してから、地下鉄の入り口へ向かいました。

”Express train” (特急) のチケットを自動販売機で買いました。仁川空港のT1からソウル駅まで11.000ウォンがかかりました(120.000ルピアぐらい)。妻にメッセージを書いて、18:00の列車に乗りました。

午後7時ごろ

「・・・ソウル駅です。・・・右のドアが開きます。」

ソウルですね。サインを見て、気が付きました。サインには4言語で書いてあります:韓国語と英語と中国語と日本語で書いてあります。韓国(人)は日本が嫌いと言っているのに、日本人旅行者のことをまだ気にかけていますね。😅


それに・・

ヒジャブをかぶっている女性が近づいていました。インドネシアとは違って、ソウルにヒジャブをかぶっている女性はあまりいないですから、あの女性はもちろん妻でした!やっと。1年間以上の後に、やっと妻にもう一度会いました。喜びました。すぐ彼女を抱きしめました。

それから、T-Money(ソウルメトロカード)をリチャージして、新村駅まで普通電車に乗り換えました。

・・・

新村駅を出ました。めっちゃ寒かったんです。ケータイの天気アプルを見て、-3℃ でした。寒さで震えました。インドネシアの最も寒い場所でもそれほど寒くないと思います。こんな寒さには水は氷ることができますね。冷蔵庫にいるみたいでしょう。

ホテルへ歩いて行く途中で、イシャウラさん(妻の寮ルームメイト)に会いました。イシャウラさんはドミニカ共和国の人です。「やっと君に会いますね。」とイシャウラさんが言いました。それから、急いでホテルに行きました。寒かったんです!

ホテルに入って、シャワーを浴びて、服を着替えました。「おなかが空いた」と母に言いました。「スープでも食べたいな・・・」

それから、ホテルを出ました。食事の前に、ユニクロでHeatTechの下着と帽子を買いました。韓国に行った時前に、妻はインドネシアより韓国のHeatTechはもっと安いと言いましたから、ソウルで買いました。しかも、値段はそんなに違わないと思います。

ユニクロを出た後で、妻はスンドゥブの店に誘いましたけど、店が込んでいて、人々も前に並びましたなので、ヤングニョムチキンのレストランに入りました。ヤングニョムチキンは韓国風の調味料を加えられたチキンで、映画やK-ドラマなどでよく見せられています。チキンはおいしかったです。味はうまみで、ちょっと甘くて、あまり辛くなかったんです。またインドネシアとは違って、韓国で、チキンを食べるのはライスないです。でも、食事の量が多いので、おなかがいっぱくなりましたね。


夕食後、疲れを感じました。ホテルに戻して、歯を磨いて、寝ました。Zzz...


2024年12月15日(日)

午前6時に起きました。空はまだ暗かったんです。シャワーを浴びて、服を着て、妻の寮へ空の荷物を持って行きました。インドネシアの習慣はまだ捨てていませんでした(一日に2回シャワーを浴びることや~)。妻はソウルに暮らした中にはいろいろな物があったので、私を持って行かせました。ホテルから寮まで15分ぐらい歩いて行きました。

HeatTechを着るので、そんなに寒くなくなりました。でも、手にまだ寒さを感じました。妻はハンドウォーマーをくれて、よかったです。おなかがはらはらして、コンビニでインスタントラーメンを買って、寮の食堂で食べました。食事を終わってから、もう8時になりました。すぐ、最初の目的地へ行きました。

ハンドウォーマー

バス停に歩いて来きました。景福宮(ギョンボックグング)まで乗りました。景福宮は朝鮮王朝の正宮でした。昔朝鮮王はここに住んでいたでしょう。8:45時ごろ宮に到着しましたけど、営業時間は午前9時からなので、チケットの所でちょっと待たないといけませんでした。しかも、人々はもう並びました。

9時になりました。自動販売機でチケットを購入しました。 大人のチケットはひとつ3.000ウォン(33.000ルピアぐらい)でした。


・・・

宮に入りました。

それは映画で見たように伝統的な韓国の建物でした。


いろいろな物を見たり、ちょっと歩いたり、写真も数枚撮ったりしました。

・・・

それから、二番目の目的地に行きました。朝鮮戦争記念碑(ちょうせんそうきねんひ)でした。もう一度バスに乗りました。あの時はもう10時くらいになったのに、まだ寒かったです。インドネシアなら・・・もう焼きましたね。(笑)


博物館に入るのは無料でした。週末なので、人が多かったです。先史時代の戦争から朝鮮戦争まで説明しています。案内は4言語で話しました。インタラクティブビデオやジオラマがたくさんありました。それに、最も重要なのは・・・

戦車(タンク)

戦闘機(ファイター)

疲れて、ホテルに戻りました。途中で、コンビニでカミソリや洗剤を買いました。ホテルには洗濯機がありましたけど、洗剤がありませんでした。それに、妻の卒業式の前に、髭剃りたかったんです。昼ごはんの時間も来たので、スンドゥブのレストランにはいりました。スンドゥブはコチュジャンや野菜や肉を混じって、絹ごし豆腐を煮られます。スンドゥブを初めて食べました。おいしかったです。コチュジャンは辛いと言っていますけど、インドネシア人によると、そんなに辛くないです。ちなみに、韓国人の食事にはキムチがずっとありますね。おそらく、韓国人によってキムチは酸素のようなものなんでしょう。


そのあと、ホテルに戻って、昼寝しました。Zzzz...

・・・

3時ごろ起きました。妻が南山ソウルタワーに連れて行ってくれました。バス停に歩いて行って、待って、バスに乗りました。ソウルの公共交通機関はとても便利だと思います。ソウルのどこにいても、徒歩10分以内にバス停とか地下鉄駅が必ず見つかりました。ジャカルタなら・・・

ソウルメトロ地図

ちなみに、30分ぐらいバスに乗った後で、南山ソウルタワーのバスに乗り換えました。しかし、悪い天気なので、バスは南山に行けませんでした。それから、妻は明洞(ミョンドン)に誘いました。

「明洞?どんなところですか。」と私が妻に聞きました。

「旅行者がたくさんいる地方です。」と妻が答えました。「ジョグジャカルタのマリオボロ道のようです。」

あーそうでしょうか。面白いと思います。

近くの地下鉄駅に入って、明洞駅まで乗りました。

明洞


さまざまな食品が販売されていました。肉やシーフードやお菓子が売れてありました。私は焼きチーズを買いました。「練乳入れますか。」と商人が英語で聞きました。
「はい、お願いします。」と私も英語で答えました。
焼きチーズはひとつ5000ウォンでした(55.000ルピアぐらい)。めっちゃ高かったんですね。でも、経験のために、大丈夫でしたね。

チーズを食べながら、明洞を巡りました。旅行者はたくさんいるので、商人は英語で話せましたね。簡単な英語なのに・・・


焼きチーズがなくなって、ほかの食べ物が買いたかったんです。ダクバルを見ました。「骨なし鶏の爪」と書いてありました。美味しそうなので、ひとつ買いました。1万ウォンでした(115.000ルピアぐらい)。もっと高かったんですね。ダクバルは美味しくて、ずいぶん辛かったです。インドネシア人によっても、辛いと思います。

明洞にある”Olive Young”という化粧品屋

それから、もっと巡りました。さまざまなみせに入りました。贈り物の店や化粧品の店など入りましたけど、全然買いませんでした。でも、甥たちのお土産をまだ買いませんでしたから、明洞に居る間に、子供のためのシャツを買いました。子供の ”Korea” が書いてあるシャツ売りがが見つかりました。シャツは一枚15000ウォンでしたが、3枚書いたので、値切った。「3枚42.000ウォンです。(450.000ルピアぐらい)」と商人が言いました。

戻った時間に、地下鉄を乗らないで、バスに乗りました。バスを出てから、妻は食事に誘いました。「パスタはどう?」と妻が聞きました。

「大丈夫です。」と私が答えました。

では、新村の有名なパスタレストランに入りました。洋食ですから、キムチがありませんでした。🤣 いただきまーす。

2日目は終わりました。ホテルに戻って、ちょとテレビを見て(全然わからなかったのに)、洗濯して、歯を磨いて、寝ました。Zzzz....


2024年12月16日(月)

韓国の冒険が続きました。6時に起きました。シャワーを浴びて、テレビをちょっと見ました。洗濯物はもう乾きました(特にHeatTechが要りました)。当日は Lotte Sea World という水族館とソウルスカイに行きました。ソウルスカイ(Lotte Tower)は世界中に6番最高の建物です。高さが555メートルで、123階のビルです。韓国に行ったまえに、妻は私とクラスメート一緒にLotte Sea Worldに行って、先生と夕飯をしようと思うと言いました。

新村駅へ行った前に、ブルゴギを食べました。ブルゴギは韓国風の牛肉料理です。もちろん、キムチもありましたね。


ブルゴギを食べたあとで、新村駅まで歩いて行きました。Lotte World駅まで乗りました。Lotte Worldに到着したのは12時ごろでした。Lotte Sea Worldの約束は午後3時なので、他の活動をして置きました。

それで、ソウルスカイに入りました。ソウルスカイはLotte Sea Worldから近かったんです。プレイガイドでチケットを買って、タワーに入りました。プレイガイドのところは一階で、エレベーターに入って、121階まで登りました。登ったのは速かったので(分束600メートル=秒速10メートル)、耳がちょっと痛かったんです。

やっと、121階に到着しました。

めっちゃ高かったので、ソウルの巡りが全部見えました。漢川やいろいろなソウルのところなどを妻は説明しました。ある角に透明な床面があって、人々はこんなところで写真を撮りました。私も写真を撮りましたけど、怖かったですから下側に見られなかったんです。

それに・・・

公共ピアノを見ました!数月前妻は私に「いろんなところに公共ピアノがあって。ピアノを弾くのは勇気がありますか。ひとびとに見てくれるね。」と言いました。じゃ、あの時は私の時間でした!人がたくさんあって、「三葉のテーマ」を引きました。皆さんはピアノを弾いているピアノ私を見ました。ちょっと恥ずかしかったけど、弾いて続けました。私は妻にスマホでレコードをさせました。三分ぐらい引きました。そのあと、皆さんは私に拍手をして、私はお辞儀しました。

それから、お土産の売り場に向かいました。いろいろなものが売られました。Tシャツやキーホルダーや人形などありました。妻はここの値段は外より高いと言いましたから、何も買いませんでした。タワーのカフェにアメリカーノを買いました。コーヒーを飲んだあとで、目が覚めました。

もう二時でした。Sea Worldの約束に遅れないように、タワーを出ました。エレベーターに乗りました。出口の途中で、他のお土産店がありました。そのところにはもっとたくさんのものがありました。読書が大好き友達に気がつきましたから、ブックマークが買いたかったんです。ブックマークを取って、キャッシャーに持って来ました。しかし、誰もいなかったので、支払いできませんん。それで、あのブックマークを買いませんでした。

では、Sea Worldに向かいました。

Sea Worldに行った途中で、HOKAという靴屋を見てから、入りました。HOKAは有名な走るを適しているスニカーのブランドです。靴をひとつ履いてみました。サイズが合って、デザインも好きなので、すぐ支払いしました。スニカーを買ったあとで、ユニクロに入りました。甥たちのお土産はもう買いましたが、姉妹のはまだです。じゃ、目的なお土産が見つかりました。”SEOUL”と書いてあるシャツでした。妹に電話して、なんのサイズを確認して、払いました。

三時になりました。Sea Worldに向かいました。Sea Worldはユニクロの近くでした。そのとき、初めてタオさんに会いました。イシャルアさんの他に、タオさんも妻の大学の友人です。タオさんはベトナム人です。あいさつして、握手して、ちょっと会話をしました。妻のクラスメートたちはだんだん来ました。MKさんとHKさんに会いました。彼女たちは妻のプログラムのコーディネーターでした。では、Sea Worldに入りました。


Sea Worldには様々な魚を見ました。サメやカクレクマノミやスティングレイがいました。クラゲとペンギンもいました!ペンギンはめっちゃかわいかったんです!大好きです。ペンギン小屋の前に、手紙を掛ける事ができて、私も手紙を書きました。ほとんどの手紙は韓国語で書いてありましたけど、私が英語と日本語で書きました。

私の手紙

Sea Worldのツアは終わりました。疲れましたよ、特に足が。次は夕食でした。しかし、先生は来られませんでしたから、クラスメートと食べ放題のレストランで食事しました。あのレストランはラチンアメリカ風レストランでした。タコやメキシコのBBQがありました。いろいろなものを食べてみました。食事の後で、地下鉄でホテルへ帰りました。

タオさんと地下鉄に乗りました。

つかれたー


2024年12月17日(火)

当日はスキー場に来ました。前日、チケットを予約して、スキー手袋もDAISOで買いました。チケットはふたつ116ドル(180万ルピアぐらい)で、手袋はひとつ5000ウォンでした。ソウルからずいぶん遠いですから、早く起きて、シャワーを浴びて、ラーメンの朝食を食べたら、バス停に歩いて行きました。バスに45分ぐらい乗った後で、電車に乗り換えました。電車の旅も長かったんで、1時間ぐらいかかりました。ソウルの中では雪が見えなくて、降る雪も見ませんでした。人々によって、冬の最中に雪降っているところは雪降らないところよりあまり寒くないと言っています。そうですか。

バエギャン二駅に到着して、スキー場へバンに乗り換えました。バンはスキー場のサービスなので、無料でした。やっと、Elysianというスキー場に到着しました。雪がありましたが、雪が降りませんでした。どうでしたか?自分で心に聞きました。


ちなみに、案内場に来て、いろんなものを聞きました。スキーのチケットは服もスキーボードも含まれていました。準備できてから、スキーをしてみました。

坂道を登っていきました。坂道は3つありました。トライアルと初心者と中級者の坂道でした。私は初めてスキーをしたので、トライアルに登って、スライドしました。滑りやすくて、バランスを失いました。落ちました。他のお客さんを衝突させました。こんなこと数回起きました。じゃ、2時間のあと、やっと諦めました。

お腹が空きましたから、食堂に入りました。ソウルの値段より、そこの食べ物はもっと高かったです。旅館ですからね。カレーライスを食べました。

食事の後、服やスキーボードを返しました。すぐフロントに向かって、バンを待ちました。しかし、バンはまだ来なかったので、駅まで歩いて行きました。朝、天気が歩きにくかったですけど、午後天気は良くなりました。スキー場から駅まで15分ぐらい歩いて行きました。

では、ソウルまでの列車に乗りました。疲れましたから、座ってから、寝ました。ZZZzzz...

ホテルに戻って、また昼寝しました。疲れたー Zzzzzz...

夕方、妻とイシャルアさんとラチンアメリカのレストランで食事しました。ホテルにもでってきて、選択しながら、歯を磨きました。それに・・・Zzzz...


2024年12月18日(水)

早起きして、シャワーを浴びました。シャツとブレザーとズボンとアイロンを掛けました。当日は妻のソウル大学校(SNU) の友達の卒業式でした。先日妻は私にこんなことを手伝いました。だから、正装を着ようと思いました。8時に出発するはずでしたが、妻は急に先生と用事があるので、キャンセルになりました。 しかし、もうスーツを着ましたから、一日中にしました。


妻が先生に会った後で、もう11時になりました。SNUに行ったのはもう無理でしたから、昼食に連れて行ってくれました。弘益大学駅(Hongdae駅)の近くのラーメン屋へ食事に行きました。ラーメン屋の名前は「猿亀」です。Hongdae駅から15分ぐらい歩いて行きました。イシャウラさんと行きました。あの時、妻のほかの友達(ジュウィさん)に初めて会いました。ジュウィさんはインドネシア人です。

左から右へ:私、妻、ジュウィさん、イシャウラさん

猿亀ラーメン:シーフードを入れてラーメン

ラーメンを食べたあとで、ジュウィさんから離れました。私と妻とイシャウラさんは東廟(ドンミョ)へ買い物しました。ドンミョ駅まで乗りました。ドンミョは蚤の市(フリーマーケット)です。いろいろな中古品が販売さられています。荷物はまだたくさんなので、妻は中古手荷物を探しました。イシャウラさんはスポーツズボンを探しました。私なら、別に何もいらなかったので、さ迷い歩きました。突然、本屋を見つかりました。店に入って見ました。本はほとんど韓国語で書いてあります。でも、英語で書いてある本を見つけました。チェスの本です。じゃ、それを買いました。本は5000ウォンでした(55000ルピアぐらい)。妻の手荷物は13000ウォンでした(150.000ルピアぐらい)。本と手荷物を手に入れました。


それから、ドンミョ駅に戻って、ホテルに帰りました。

・・・

その日の午後、友達と会社の人のお土産をNoBrandというコンビニで買いました。お菓子やコーヒーや飴など買いました。お土産は25.000ウォンぐらいでした(265.000ルピアぐらい)。

お土産を買った後で、タオさんとイシャウラさんとスティーブさんとゲートさんと夕食しました。スティーブさんは韓国人で、イシャウラさんの恋人です。ゲートさんはベトナム人で、タオさんの友だちです。ジムダックを食べました。ジムダックは韓国の鶏肉の料理です。

食事の後で、カラオケに行きました。カラオケは韓国語でノレバンと言うんです。最初、30分だけ予約しましたけど、時間切れになったら、もう30分予約しました。いろいろな歌を歌いました。日本の歌や韓国の歌やアメリカの歌やベトナムの歌を歌いました。


歌いすぎましたから、ちょっと喉が痛くなりました。ホテルに戻った途中で、ゴンチャに入って、温かい抹茶を買いました。


2024年12月19日(木)

もっとも重要な日がついに来ました。妻の卒業式だったんです。朝ごはんを食べた後で、デパートへ妻のプレゼントを買いに来ました。韓国語が全然話せませんから、Google翻訳で店員とコミュニケーションをしました。スマホにGoogle翻訳に英語で言って、店員に韓国語の翻訳を見せました。それから、店員はGoogle翻訳に韓国語で言って、私に英語の翻訳を見せました。ちょっと困ったのに、効果的でした。プレゼントを買った後で、花を買いました。韓国には花が高かったですけど、たまに大丈夫です。



卒業式の時間は午後3時で、12時に寮へ行きました。妻と寮の食堂で昼食をしました。そのあと、卒業祝いで行うビルに向かいました。ビルの中で、準備したり着替えたり写真を撮ったりしました。午後2時に卒業式の講堂に入りました。卒業生がリハーサルしました。

3時になって、卒業式が始まりました。MKさんは式を開けました。卒業式はYouTubeにも放送されました。卒業生はひとりひとり名前を呼ばれました。やっと、妻の名前を呼ばれました。卒業生はみんな40人いました。最後の卒業生を呼ばれた後で、優秀卒業生は発表されました。タオさんも妻もリストに載っていました。妻と皆さんにお祝いを言いました。

グループ写真を撮りました


1時間が過ぎたあと、式は終わりました。グループ写真を撮られました。

それに・・・

家族や友達など一緒に写真を撮っていました。急に皆さんは有名人になりました。みんなは写真を撮られたくなりました。1時間ぐらいまでこんなことなりました。

午後5時に寮に戻って、妻が物を入れて手荷物を私にホテルまで持ってこさせました。では、ホテルに戻って、シャワーを浴びて、ちょっと休みました。

・・・

午後7時ごろ、出かけて夕食しました。焼き魚を食べました。ちょっと疲れたので、ホテルの近くで食事しました。

焼き魚


9時ごろホテルに戻って、歯を磨いて、ちょっと準備をして、寝ました。



2024年12月20日(金)

韓国の冒険はそこまででした。早起きして、シャワーを浴びて、服を着ました。それから、ちょっと準備をして、朝ごはんを食べないで新村駅に妻と歩いて行きました。妻は駅まで連れて行きました。私は列車に入った前に、妻は寮へ戻りました。

国へ帰った前に、思い出のために、ホテルの部屋を1枚撮りました。

変えた前のホテル写真

Hongdae駅で仁川空港までの電車に乗り換えました。ラッシュなのに、電車の中ではあまり込んでいませんでした。手荷物を持って来ましたから、電車の裏側で立っていました。


10時ごろ仁川空港ターミナル1に到着しました。案内所に「Air Chinaのチェックインカウンターはどこにありますか。」と聞きました。すぐカウンターに向かいました。チェックインした後で、入国管理局に入ってチェックされました。そのあと、コーヒーを買って、ゲートの近くで待ちました。


午後12時半ごろ飛行機にボーディングをしました。おかげで、窓の席に座りました。キャプテンは出発のこと発表して、私はシートベルトを締めて、スマホを飛行機モードにしました。では、出発しました。


飛行中に昼ごはんの時間が来ましいた。
「牛肉と鶏肉とどちらを選びますか。」と客室乗務員が聞きました。
私は牛肉を選びました。おなかがすきましたから、昼食は美味しくなりました。

・・・

午後3時に北京に到着しました。もう一回入国管理局に入りました。もう一回ラウンジで待ちました。空港のWIFIでまだ何も開けられませんでしたから、ローミングのインターネットサービスを買いました。

・・・

午後5時に飛行機にボーディングしました。もう一回窓の席に座りました。5時半、出発したので飛行モードを付けました。


・・・

午前1時ぐらいジャカルタに到着しました。ソウルとは違って、ここはもう一度暑さを感じましたね。空港を出るとき、ダヴィさんという友人に連れて行ってくれました。駐車所へ歩いて行って、手荷物を車に入れて、家に帰りました。空港から家まで高速道路を渡って1時間ぐらいかかりました。

2時ぐら家に届きました。ダヴィさんに感謝しました。家に入って、シャワーを浴びて、着替えて、寝ました。疲れたな~ ZZzzz・・・


結論

ソウルの旅行は楽しかったんです。色々な活動をしたり、色々な料理を食べてみたり、色々なところへ生きたり、色々な人も会ったりしたので、忘れられません。素晴らしい公共交通機関も絶対に忘れたくないです。今度、もう一度ソウルへ旅行に行こうと思っています。



南タンゲラン、2025年1月13日(月)

日本語を勉強している31歳のインドネシア人男性



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